理由のない世界に生きること



倫子ことelenaです


実は
あることを
どーするか
すこーし悩んでた


信頼する人に
わたしの感覚が間違っていないか
相談のメッセージをいれた

相談というか
確認だけどね



わたしの中で
何に違和感があるか
わかっていた

それは
無意識に  そこに漂っている
クローズドな意識

そんな意識があるとは
気付いていないと思うのだけど




それを
どう表現したらいいかは
わからなかった



きっと
その違和感は
今日
急遽参加することになった
「夏至のセレモニー」の後
見えるようか気がしていた








たまたま
朝の相談の主が 
その場にいて
「もう さっきので迷いはなくなったよね」
と、言われた

その一言では
わからなくて
会話を重ねた


細かい会話の内容は
書かないけれど





クローズドの意識≒理由をつける 

な、感じかもしれない


〜のために
という考えが
私には無いようだ


もともと無いのではない
無い道を自ら選んで
自ら歩きだしているのだ


だから
理由をつけられると
動けなくなる


理由なんてない

だって
やりたい

だって
行きたい


だって
会いたい


ただ
それだけで 動いてる

だって
しょーがないじゃない!
そうしたいんだもの!


理由なんて 
後でわかればいい

いや
わからなくてもいい





だから
〜のために
あなたが必要って言われたら
わたしの中で?がでる

わたし
そんなことする人だったっけ?

って今朝も?だった




しみじみと言われた

ようそんな世界に
とびこんだねって



だって
しょーがないじゃない  

そうなったんだもん


理由なんてない!!!




別れ際に
手を交差して繋いだ

長く繋いでいたので

その人の体の不具合のメッセージがくる


そうしたら

わたしのそこを見ないで
もっと全体をみてって言われた


するとね
強いエネルギー循環がおこる


癒す必要も 
治す必要もない

全体をみていたらいい


勝手におこる
必要なことが


それが
理由のない世界にいること



思考がないとできて
勝手にやってることが

思考がはいると鈍る


理由のない生き方


それでいいと感じた

 









elenaこと倫子



追伸:

そんなわたしが
Facebookでaercaneという
アカウントをとった 

それは
そうでもしないと
区切りができないから


笑えるほど
不器用だ  

頭で
切り替えたらいい話なんだもの

でも
やってみた

やったら
わかるから  


だめだったら
やりなおしたら
いいだけだ