一度ゼロに戻ることと感情の処理

倫子ことelenaです

5月になんとなく決めていた
1でななく
ゼロになること


6月半ばに
それは
なんとなく姿をあらわし
大阪北部地震の振動とともに
それが浮上し
わたしの中は
激震した

*前回の阪神大震災の話とはちがいます

涙すらでない
感情が一度消えた



あまりにもフリーズしたので
友人に電話
いつものごとく
泣かされた



声を震わせながら
私の気持ちを
代弁してくれた

わたしには
その人も
泣いてるように感じた





おもう

その出来事によっておこった振動は
わたしに必要だった


だから
リセットできた気がする

ゼロの意味が
わかった 

リセットしたからこそ
再確認して
それでも
ワタシは
どうする?を
感じ取れることが
できるのだ




時として
怒ったり
泣いたりの
感情の出し方は必要だ

わたしは特に
エネルギーを
とどめると
フリーズする


自分のエネルギーが
大きくなればなるほど
内側にとどめることは
わたしには
苦しい

それは
まわりに
何かをするとかではなく
あくまでの
私の内外の
トーラスの感覚での話
だけれど.。o○








経験し
感じ
思考し
ふにおちる

ロジックがつながる感じ


知っているのと
本当にわかるのは
ちがう


ストンときたときに
前にすすめてる

1つずつやってきた



でも
きのう
ある方のセッションを
流れでうけてみて
感じた

イベント出店中の合間に
星読みしてもらおうっていう
軽い流れだったけれど
実は必要な
時間だった



「それ」
まだ終わってないんだと
感じた



去年秋に浮上し
対処してきたこと

もう
終わったと
思ったのに


深い

まだ
断片が
残ってる


その本質を
春から
ずっと
見せられてる  

もちろん
別の側面もあるけれど

結局
そこなんだ





物事は
いろんな次元でみて
対処するのが
必要で

最終は
自分でしかできない



わたしのやっている
「カラダ∞ヒラク」Body Painting  も
アートセッションだけど
その方そのもののエネルギーを
ただ共鳴することで引き出すだけ
わたしは
amplifier(増幅器)でいるだけ

そのエネルギーの質を
セッション前に伝えた時に
依存しなくていいから
安心したと
セッションを受ける人に
言われたのも 
昨日のことだった














話を自分のことに
戻すと。。。



思考はいらないから
もっと感情を
味わってと言われた

死ぬほどやってきた
まだなの?

こんなに
感覚的な
なのに。。。




でも
お話する中で
そして1日たって
わかってきた

とかく
自分の中には
まだ
思考あるんだろうなと

未経験のことが
激しく起こっている今

やっぱり
思考で対処し
整理しようとすることが
どこかにある


だから
ふにおちるように
思考で整理して 
導くことが時にあるのだと




そんなわたしに
感情の抜き方を
教えてくださった

たとえば
悲しかったら
それを
自然に感じてみる

すると
ふーっと
頭の上に
何かが抜けていくのがわかった

それが
処理しきれてない
感情の断片

これでいいんだと思った

大泣きすることは
なくても
それで感情が処理されてく



それを
繰り返していくと
別の次元というか
もっと
大きなところで
ストンときて
より
本来のわたしに
近づける
そう感じている



理解しなくちゃいけない
ふちおとさなくちゃいけない

そこは 
いらないね



勝手におこってく


ただ
感じていくだけ



体感型の人は
わたしと同じで
そこが得意かもしれない

体が
教えてくれるから


体で
感情を処理するのだ


ねえ?
留めるのは
懲り懲りじゃない?









elenaこと倫子










ちょっとお気に入りの写真💗