大切な人が他界しました
倫子ことelenaです
新月の日
父が他界しました
告知された時は
ステージ4の肺がん
転移をしていました
あれから
もうすぐ1年という時に
父は肉体から離れました
告知される前の検査期間中
父の魂の声がふときこえました
愛されるために
病気になったんだと.。o○
父は愛をたくさんくれた人です
でも
本当は愛されたかった.。o○
告知の前も
ステージ4だと
わたしは
わかっていました
でも
目の前で先生に躊躇なく
告知されることは
なかなか辛いことでした
3月だったか
5月だったか
忘れましたが
駅までの道で突然
「8月で終わる」と
声が聴こえました
耳を疑いました
父のガイドに
アクセスすると
やはり父のガイドからの
メッセージでした
これは父が
決めてきたことでした
癌への向き合い方や
治療の選択は
私の希望とは違いましたが
父は慎重に
1つずつ
選択を自分でしました
告知から半年を過ぎてから
急に悪化していく中
わたしは
8月に.。o○の言葉を
すっかり忘れていました
死の直前に
最後に入ってきた意識は
8月11日の新月に逝く
キャッチしてしまう
自分との
葛藤でした
信じたくない
受け入れたくない
父の自分の思うようにして
生きてほしいですが
逝ってほしいわけは
ありません
なんども泣いたし
結果的に
最期を迎える日
わたしは
おさえきれなくて
トイレでさけび
大号泣して
家をでました
延命治療はしないと
書面に書いていました
酸素と
痛み止めのモルヒネと
睡眠導入剤だけ
栄養の点滴もありません
管理するためのモニターも
つけません
まだ、たくさん話ができる時に
家族4人で
これからのことを
確認しあいました
戒名をいただくことも
父は迷っていましたが
自らお寺さんに
お願いをしたそうです
自分の人生を振り返り
それを言葉にまとめていました
自分にも
本当に厳しい人で
自分を褒める言葉が
一言もありませんでした
そして
一番大きな願いは
家で最期をすごしたいと。。。
母が
ギリギリまで
父の看病をしました
8月8日に
水しか飲まないと決め
(食べられないから)
9日には
トイレに立てなくなり
10日に
緩和ケア病院に緊急入院
入院も
自分の意志で決めたそうです
その日
なんとか開く目で
わたしの顔をみて
安心したようです
痛くて体を触れることも
いやがる父が
ずっと
手を握らせてくれました
ほとんど
言葉をしゃべれなくなっているのに
「ずっと眠りたい」と
はっきり強く
言いました
その日の夕方
母と姉と三人で
病院帰りに
ふと思い立ち
氏神さんに寄り
それぞれに父のことを
思いながら
お参りをしました
後で時計をみたら
ほぼ新月の時間でした
その時の空
その日の夜
新月の夜
眠るように
息をひきとりました
その時間
わたしは
実家で睡魔に悶絶していました
父は
自分の意志を通しました
その場にいなかった
わたしたちにも
後悔はありません
一度下がった血圧を安定させて
安心させるという
シチュエーションを
父が選んだことは
わかっていました
眠るような
美しい顔でした
やさしい顔で
今にも
笑いながら
起き出しそうな顔でした
(最後にその写真を載せています)
実は
亡くなる1週間前に
近い家族が
父の部屋に集まり
一緒に食事をとり
楽しい時間を過ごしました
父は
びっくりするくらい
元気でした
この日
私の相方は
用事で予約したはずの
飛行機と宿泊がとれていなく
参加することが
できたというミラクルを
起こしてくれました
本当に
愛に満ちた時間でした
父が写真を撮ろうと
言い出しました
その写真を
引きのばすように言ったのは父
部屋に飾ると思ったら
お葬式に飾りたかったみたい
家族葬の希望の中
父の兄弟たちが
7人も遠方から
きてくださいました
ほんとに
嬉しかったと思います
父が亡くなった時
三次元の現実しか
見えなかった私
父のガイドさんも
アクセスすることが
当日はできませんでした
不思議なことが
1つだけありました
センサーで動く手洗いが
誰も前にいないのに
ザーっと
水が流れました
誰かが来たのは
わかっていたけど
姉いわく
父のお父さんだったそうです
姉は
おじいちゃんの存在と
ご縁がある人なので
確信したようです
父が亡くなった翌朝から
わたしな
父の魂的なものと
会話できるようになりました
あの真面目な
堅苦しいキャラとは
大違い
お通夜の日は
「今日、明日楽しむよ」なんて
言ってて
楽しそう
父の
地球での学びは
無事に終わったみたいです♪
わたしの描いた
阿蘇の水のエネルギーを
描いた絵を棺にいれてほしいと
母に伝えてくれていました
この絵について
語ったことは
ありません
でも
わかってくれていました
口数の少ない人だっただけに
もうね.。o○
やられた感いっぱいです
この
マイペースな
私のことを
大きな気持ちで
みてくれていました
わたしが
2年ほど前に書いた
父の名を書いた
アヒル草文字も
父と共に 旅立ちました
*常に枕元においてくれてました
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人は
肉体や 事象など
三次元にあることに
依存、執着してるのだなと
すごく感じました
理屈がわかってたって
なかなか
どーにもならなくて
その葛藤でした
決めてる父の足を
ひっぱってはならない
わたしが
父との思いを立ちきるのにも
時間がかかりました
この私の肉体は
父と母が存在したから
今ここにある
それぞれの
事情のある中
多くの人は
父と母の死に遭遇します
わたしは
このタイミングで
体験しました
ただ厳しいと感じといた父から
生きざまをみせられ
愛をみせられました
おとうさん
わたし
あなたを
尊敬しています
ありがとう
この
地球体験って
本当に
濃厚ですね
父は
わたしに
虹をみせてくれます
父の旅立つ日に
病室で描いた絵
なくなった翌日完成しました
『ふぁんふぁーれ』
elenaこと倫子
支離滅裂な文章
お許しください💗
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最期の父の顔です
戒名「風土一翔居士」
素敵なお名前をいただきました
わたしは
この父を選んで
生れてきました.。o○
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最後までお読みいただき
ありがとうございます
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