〇〇〇



倫子こと ∞∞∞ elenaです


〇〇〇←題名が浮かばないので
こんな〇〇〇で失礼します

(*´ 艸`)






きのう
お志事のパートナーに
伝えました


「 わたしを疑ってくださいね」と

その人は
言いました

「お互いさまです」

そこで
わたし

「疑わせていただきます」
と言いました




見えないことって
多くのことは
確証がないのです

でも
見えなくても
そこにあることは
潜在的に わかってる

そもそも
言葉って表面的で

ビジョンが視覚的に「見えない」 なら
見えないとなってしまいますが
あるところでは
「見えている」 のですよね




「疑う」も

人を疑ってはいけません!と 
言われてきた人もいるでしょうが

俯瞰する

別の角度からみる

その意見等をないものとして見直す

とか
いろんな意味が
含まれていたりするのです


疑ってください!と言えるのは
いろんなことの信頼があるから
言えるのだと思います




人の考えも
人の気持ちも
態度や行動や言葉にしないと
見えないものです
不確かではあります

見えないものを
スピリチュアルとか 
いう人もいますが

スピリチュアルって 
オカルトでもなんでもなく
精神性ということです


もともと
見えないものは
たくさんあります


わたしは
見えないものを
感じるようにしています

そうしている
というより

必要であることが
肌感覚として
入ってきます

いいことばかりでもなく
痛みとして知らせてくれる時も
あります



体感として体でうけとり
言葉にしたり
絵にしたり 
行動したりしているだけ

見えなくても 

相手と同じものを見ているのなら

共振して
見えてくるのです
確信が持てるのです


もちろん
感じ方はそれぞれですが.。o○


共振しないということは
見てる場所が違うか
そこに 
ないからなのかもしれません

「疑ってください」 は
そこに
本当にあるかを
ゼロにして
見てくださいということ

その人の人間性を
否定するものではないのです



⋆ボキャブラリーの少なさから
「疑う」という
言葉しかでてこないことを
お許しくださいー




どんなに
すばらしい人でも

そこにないものを
創り出してしまっているかも
しれません

今は
創造されたものの具現化が
早いので
3次元として
すぐに物事として
あらわれたりします

すぐに
創りだせるのです








わたしは過去
セミナーや
セッションを受けて
痛い思いをしたことが
何度かあります

あやしいものも
経験しました

あとから 
気付くこともあります

あやしいっていうのは
結局
その人の魂を解放させるのではなく
逆に閉じさせてしまうものだと
感じています

それに
参加することを決めたのは自分で
そこを経験したいからだったりもします

その経験は
無駄だとは思っていません


幸い
わたしは
後で
おかしいことに
気付きました

それは
わたしたちは
様々な存在にサポートされているから
自分を失わないでいると
それに気付くギフトが与えられるのです

それは
まわりの人たちが
気付かせてくれたりするのです







一筋の光を求めるのなら
それば
誰かが与えてくれるものではなく 
自分で
光をつかみとるのです

まわりにいる人や
ヒーリングや
セッションは
純粋に
それをサポートするもので
あってほしいと思うし

わたしも
そのスタンスでいたいと
いつも思っています


それが

寄り添う


ということかもしれません

ピラミッドの構造の中では
寄り添うということは
なかなか難しいことかも
しれないなと
感じています




わたしは
起きた時や
出かける時に
思うのです

今日も
ゼロから
はじめよう


と.。o○


もちろん
わたしたちは
日々の積み重ねで
できているけど

その気になれば
いつでも

ゼロに

フラットに

なれます



ここのところ
寄り添うという経験が
続いています



それは
一見 地味なことですが
大切な立場だと感じています








∞∞∞ elena こと 倫子