あの愛に満たされた1日.。o○
朝風呂で
泣きまくった後の朝日
倫子です
愛とは
なんだろう
ふと
内側からきたのは
生きるあかし
わかるようで
わからないような。。。
∞
去年のこの日
家族は集まった
5月の
たった一人の孫の結婚式に
父は行けなかった
姉は
姪を父にあわすと
死期が近づきそうで
怖いといった
それは
姉の気持ちであって
姪は姪の思いがあるよ
その言葉で
じゃあ倫子が言ってよと言われ
東京にいる姪に伝えた
おじいちゃんに
会っておいたら?と
愛犬moonyの介護にはいっていた
私だけど
moonyも奇跡的に
もちなおしていた
その日に
関東にサッカーの試合観戦の予定だった
パートナーの
飛行機と宿は
なぜか予約がとれてなかった
(実はとれていて請求はきた 笑)
彼にも言う
会っておいたら?と
ってことで
姉夫婦と姪
私たち夫婦が
実家に集まった
父は
末期肺がんが
その1年前に見つかった
80代半ば手前
分子標的薬 キートルダーが
免疫にあって
本人の意思でトライしたが
半年で癌細胞は沈黙をやぶった
家で最期を迎えたかった人
延命治療はしないで
痛み止めや睡眠薬は服用
酸素のチューブを鼻につけていたけど
トイレも自分でいけていた
前回会った時の様子は
ご飯以外
ベットでずっと寝ていた
しんどそうだったら
部屋にはいれないよって
話してたら
びっくりするくらい元気!
ベッドに座り
前回より顔色もいい
姪の結婚式の写真を見て
旦那さんたちと話をし
みんなで
そうめん流しをし
ゼリーのおやつを食べ
自ら写真を撮ろうといい。。。
お葬式に飾る写真だったんだけどね
その4日後
水しか飲まないと
宣言し
10日に
トイレに行けなくなり
自分で
最期を迎える病院に行くと決め
11日に
私の顔をみた後
「ずっと眠りたい」といい
8時間くらい後に
1人で静かに息をひきとった
たった1週間の出来事
父の選んだ道
最期にもちなおすのは
よく聞く話だったけど
父も.。o○
みんなが集まれた
奇跡の1日だった
とにかく厳しかった父だが
それが愛のあかしだった
生のあかしだった
きっと
誰よりも愛を求めていた父
(これは 私に聴こえた声)
求めていたけど
不器用な表現方法で
愛を与え続けた人生
それが
ホントの意味で理解できたのは
死んでからかな.。o○
半年は
薬の副作用で
脚はパンパンにむくみ
時に思考は働かず
(頭がもやもやするって言ってた)
ほんとに
体は辛かったと思うけど
準備をしながら
肉体をはなれた
いさぎよかった
美しかった
愛のあかしは
母へ
そして
私という存在へ
姉という存在へ
姪という存在へ
父の生のあかしは
わたしたちの記憶の中に.。o○
わたしが病室で描いた絵
(色は後日)
ほんとに
言葉の少ない人だった
でも
この絵を棺にいれると
母に伝えていた
この絵は
父と共に
昇華した
言葉が少なくても
今も
父の愛を感じる
その2ヶ月後に
肉体をはなれた
moonyの愛も感じる
生きてる者がすることは
愛のあかしとは
その人らしく
生きることだと
今書きながら
感じた.。o○
私の場合は
親戚の人の死や
祖父母の死では
感じなかった
身近な存在の死で
初めて
感じることができる世界
そのシーンは
人それぞれだ
∞
この1年
いろんなことがあったけど
わたしは
私の生の証を
楽しんでる
作品展に追加した絵
今は
描くという表現を
楽しんでる•*¨*•.¸¸☆*・゚
倫子
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