愛や祈りや生や死や




倫子です


愛犬moonyの
1年目の命日でした


パートナーと
一緒に家で
すごしました



今日は
お線香の香りの中で
過ごすといった彼

私の好きな
お線香は
手作りで太いので
お線香立てに立つように
先を削りました





手作りのお線香の材料って
大地のエネルギーだなと
思いました

いい香りとかは
ないですけど


削りながら

祈りって

思いでなく
無からくる
行為そのものだなと

感じました


チベット僧侶の方が
これを作られた時のことは
わかりませんが。。。



1年たち

まだ置いていた
moonyの服とか
手放すことに

トイレを捨てようとしたら


ふと彼が
今はその気になれないけど
もし次の子を迎えた時に
置いといたら?
と、言いました


へ~

そうなんだ



彼にとっても
区切りなのかなぁ







1年

短いようで
長いです


自分のInstagramは
写真日記
みたいになっているのだけど

今年のこととは
もう思えないし

ふと
去年をふりかえると
はいてもおかしくないような
濃い時間を
がむしゃらに生きていたなぁと



もう
愛やら
祈りやら
語ってる時間は
私の中でなく


愛やら
祈りは

日常から
あふれたものの
結果であり

~したいとか
~でなければいけないとか

ないんでは?と
思うのです


日常に
あふれていて

たとえば
moonyについても

それは
私たち夫婦のmoonyへの
気持ちだったり

姿のないmoonyからのものだったり


ただただ

そこに在る



うまく
言えないけれど


空気みたいなもの






久しぶりに
数日前に描いたもの





あぁ
こんな感じ

って
今  思いました












絵のお薬 ®カードの
workの案内を
しばらくは
表だってするけれど



絵のお薬 ® も
実は
普段は
空気みたいなもの


そんな
気がします.。o○


ときに

風をおこし



ときに

水になり



ときに

火になり



ときに

土になる





愛も
祈りも


そして

わたしたち
ひとり
ひとりも


同じような
ものかな.。o○



だから

生も

死も.。o○


それらに
理由はなく


ただ
あふれて
そこに
ある
だけ。。。。。





倫子






✧追伸✧


どれも
依存すると
何かがくるい
おかしくなる