いのり


この題名をかいた時
どの写真をいれようか?と
思った時に
これを何故か選んだ。。。






倫子です




わたしは

いのり

あふれでるものだと

思っている




今まで

過去
祈り合わせで
何度も
祈ってきたけど


いまは
なんだか
それをしない





たとえば

この前の台風では
台風が猛威をふるいながら
東にすすんでいる時に
被害が最小であるように
そして
わたしの知人や親族が
安全でいれるようにと
思いがあふれた

多くの人が
そんな思いだったのではないかな

ふだん
そんなに見ないNHKテレビを
ずっとつけていた

まあ
見ていても
何かができるわけでは
ないかもしれないけど

地震と違って
台風の位置がわかるから
それを知ることで
逃げることができるかも
しれないから.。o○



そして

その傍らで

私は
絵を描いていた


描く時
無心だけれど

わたしは
こういう時の
こんな行動を
祈りというのではないかなと
最近は
思っている


なぜか
嵐の中
描こうと思う

ただそれだけ

祈る思いはなく
無心だけれど


祈りは
思いでなく
行為そのものだと
感じることがある
しかも
その行為は
意図がないもの





この絵で
どうこうしようとか
ないのだ

どうこうなんて
自然の力を前に
できないのを知っている

意図をもたず
今描きたいという思いに
忠実でいる

ただ
それだけ





○○のためにとか
祈りで
何かを理由にするとか
何かを動かそうとするために
祈ることは
今の私にはできない

こうなりたい
こうなったらいいは

こうでない事実を
つくってしまう
みとめてしまう



だから
意図をこめられない



ただ


あふれた思いには
忠実にいたいと
思っている


それは
あふれる涙や
波打つ鼓動と同じ


理由なくても
あふれるんだもん
しょうがない.。o○

そのあふれるものが

どんなに
人の役にたたなくても

どんなに
自分のためのものでなくても


いいと思うのだ






この
ニュアンス
伝わるかな?



幸せって
なんだろう


結局

そこじゃないかな






最近
とてもキレイなイロの
水彩絵の具と出会った

台風のくる
前日に届いた


乾いても
色の変化が少ないので

色を楽しんでいる


私の色選びは
思考はない


一応
前職のインテリアの仕事で
色のプロだったし
セラピスト時代も
チャクラのセラピーを
石のカラー(光ともいう)で
やっていた


けれど

描く時の
色選びの思考はない


瞬間に
色についての情報を
手放せる








今のわたしは
なぜか
色の多用をするみたい


思考がないから
意味不明な世界を
作り出す

冷静な自分は
傍らで
何でそんな色なん?って
傍観してる



究極は
やっぱり
白と黒
なんだと思うけど



その反面

色の力はすごいと感じる

チャクラやら
オーラやら
理屈を超えて
働きかける

魂を
ゆさぶるくらいに.。o○


だからこそ

物事を動かすかもしれない
いのり同様に




色 も
いのり も

フラットに.。o○


なんの
ジャッジも
理屈も
なくて
大丈夫だから




倫子