アホなだけかもしれませんが
久々に
60色の絵の具と対話
とまっていた
シリーズものの再開
水彩透明絵の具の
おもしろさ
実は
数日前まで
絵を描くことをやめてもいいと
思っていた
絵が嫌なんじゃなくて
リセットして
私が何をしたいのかを
見守っていた
何をやっていても
私は私
ミキをつくり
家のご飯をつくり
ご機嫌なのも私
おいしいものをいただく
食べれる喜びは
肉体で愛し合うのと同じ
触れる喜び
感じる喜び
肉体がないと
できない
それを感じに
人として生まれた
今ここにいる
コロナについて
これからの世の中について
真面目に語り、伝えてくれる
人もいるのに
わたしは
いつもと変わらず
食べ物の写真をあげ
空や花の写真をあげる
いいと思った投稿をシェアする
でも
そのご機嫌さが
私の生の証だと思う
揚げ物するの好きじゃないのに
山菜の天ぷら揚げて
喜んでる
残念ながら?
外出自粛のおかげ
パートナーが
同じ部屋にいても
音さえ出さなかったら
絵も描けた
∞
なんとなく
気付いている
これからの世界のこと
世の中のことを
言葉にする人がいて
それは
スピリチュアルに片寄った
視点じゃない話だから
納得できた
もう
戻れないのは
わかっているから
驚くことは
なかった
世の中は
変わってゆく
我が家で
今までやらない
天ぷらあげるみたいに
油少なくしたら
揚げてもいいやんとも
思えた
新しい世界に
シフトしたらいいのと
同じこと
ただ
天ぷらって
揚げたてを食べたいから
同時に
家族が
いただきますできるような
状況は作りたい
つまり
お母さんが
家族のために
天ぷら揚げて
最後に
冷えた
天ぷらを食べる時代は
もう終わり
変えられないなら
私は
天ぷらは揚げない
ん?
何で
天ぷらの話?
∞
アホかもしれないけれど
世の中変わっても
大丈夫って思えてる自分がいる
何が?
って
何の根拠もない
といっても
3月から
絵のお仕事は
パタッと止まっている
描くことを続けたければ
新しい画材を手に入れるなら
新しい世界に向けて
新しい創造は
必要だと思う
覚悟はできた
(たぶん)
絵を描きたければ描く
絵を買ってもらうためでもない
生活するためでもない
描きたいから描く
もともと
私の絵の値段設定は
絵に対しての敬意
つまり
そこに現れた
エネルギーへの敬意
絵のお薬 ®カードも同じ
お金は
当たり前にあるイメージしかない
実際どうこうとか
関係なく
何も困らないのでは?
と、思っているアホ
最近
∞ MinamotoArt ∞ ®を
エネルギーアートと説明する
文言を消した
アート
エネルギーを感じるがどうかは
その人次第だから
正直
わたしは 感じる
個展の時も
作品を箱から出しただけで
スタッフさんの体感温度があがり
空調がきかないくらいの
エネルギーだった
結果的に
チャネることになっていても
チャネる意識や意図はない
なるようになる
その絵を受け取った人の
望むようになる
具現化するとは
そういうこと
変化の多い世の中だから
それが
絵によるものか
誰かの言葉によるものか
他のことによるものか
わかりにくいけど
そうそう
今年のお正月明けに私は
このウイルスの絵を
描いていた
そして
そのウイルスが変化する姿も
もう描いて公開済
もちろん
全て後で
気付いたのだけどね
さぁ
覚悟できたら
あぁだ
こうだ
言わなくても
創造されてゆく世界は
変わってゆく•*¨*•.¸¸☆*・゚
ふと
時々
私が
大きな空間に描いている
ビジョンをみる人がいる
そういうのが見えると
教えてくださる
大きな空間や紙に
描いているビジョンは
私にはないけれど
結果的に
大きな空間に描いていると思う
ハガキサイズであっても
B5サイズであっても
その人の宇宙を描ける
私の絵の世界は
そんな世界
言葉での説明はしないけれど
その人の背負ってるものを
軽くなることがある
過去とか過去世とか
そんなボディーの近くに
漂ってることより
もっともっと
遠くのその人のminamotoに
近いことが具現化される
私が
本気で絵を描いたら
ハガキサイズでも
世界は変わる
施術とか
エネルギーワークと同じ
でも
私には
意図はない
あふれてきた時に
初めて描く
あふれたものしか
描かない
プロとか
アマとか
うまいとか
下手とか
関係ない
青色申告に
職業 画家と
描いているけれど
画家であると
思ってなく
何でもいいと思っている
わたしは
わたしだから.。o○
倫子
みんなとハグできる日が
早く来ますように💗
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