続。悲しいのか?
elenaこと倫子です
続。悲しいのか?
続き書きます!
自分への問いかけです
自分が多次元で
あることを認めてるから
いろんなところから
物事をみてて
いろんなワタシがいて
ややこしいんだな。
でも
一部の自分は
全ての自分でもあるから
たとえば
人間としての
どっぷり感をも
感じきって
表現して
全体が統合されていくんだろう。
そこを
見逃さずにいることを
彼女は
指摘してくれたのかもしれない
(真実は知らないけれどね)
それを
ここに書くことで
見つめることに
なってる
言葉は
めんどうなことがあるけど
言葉でないと
伝わらないこともある
今回のこの話は
自分の問いかけで
終わってもいい
何が
伝わる人がいたら
それでもいい
父の死は
moonyの死への道と
シンクロしている
こんなことを書くと
切ないからって人も
いるけど
まあ
そこを
冷静に感じてる私
どちらも
いわば老衰です
病気であっても
大往生です
父は84才
moonyは15才
そこは
彼らの経験であり
私たち家族の経験
家族それぞれ
立ち位置は違う
母と父
姉と父
私と父
みんな
それぞれの間に
紡いできた時間は違うから
感じかたも違っていい
moonyと旦那さん
moonyと私
も違う
moonyの母になることを
選んだ私
moonyの膀胱の腫瘍も
(あくまでも腫瘍で悪も良も不明)
去年の3月に
膀胱炎がきっかけで
わかった
今年の7月末の危機をのりこえた
父が
先に8月に逝った
時々
思う
父の分も
お世話してるみたい
わたしの魂が
介護をしたかったのかは
知らない
ここには
私の意識もあり
旦那の意識もあり
moonyの意識もある
ここ最近
妙に
重なりゆく姿の
父とmoony
今日も
母にmoonyのこと
話していたら
「おとうさんと状態が一緒やな」って
どちらとも
いわゆる
自然の流れに任せている
父を看とる経験が先だったから
私の中では
ワンクッションおかれてて
1日1日変わりゆく
moonyの姿を
静かに
時に
大暴れしながら
受け入れている
父が死んで
1週間で
涙の量は
激減した
あと
失うことの
怖さみたいなものも
減った
父の時は
頭では
肉体がなくなるだけって
わかっていても
大切な人を失う怖さが
すごくって
「こわいんじゃーーー!」って
旦那と喧嘩したくらい
そうだなー
父のことで
もう少ししたかったことは
病院に
ついていった時や
実家に帰った時に
泊まってあげたかったかなあ
(旦那の仕事の関係でmoonyを
夜中までの放置できなかったので
いつも日帰り)
あとは
痩せすぎて 皮と骨だけになった父を
マッサージできなかったことかなぁ
でもね
これも
不思議と後悔ではない
だって
わたしが
それを選んだんだもん
父は
家族を
不器用ながらも
愛していた人で
そして
家族に愛されたかった人
だから
先にいって
わたしに
moonyをとおして
愛すること
愛されることを
命の大切さを
感じながら
集中できることを
経験させてくれているかもね
父は
言葉の少ない人だった
moonyも
言葉はしゃべらないしね
わたしも
日本語
片言だし(笑)
言葉がなくても
そこに
揺るぎない愛がある
見守る愛
感じる愛
つまりは
私が経験したかったことに
なるんだけどね.。o○
KINは
白い犬だしね
大いなる愛を
この地球で体験する
いや。。。
私に限らず
宇宙は
善悪なく愛そのものだから
みんなが
愛を体験しにきた
blog2本書く間
泣きっぱなしでした
疲れたぁ(笑)
結局
悲しいの?は
こんな
感じの涙になりました
書きながら
ふと
長崎へのバスの中
父の膝で寝たこと
母が入院した時
甘えたくて
電気コタツで体温計の
温度をあげたこと
ぺったんを
一緒にしたこと
思い出しました
大丈夫だよ
どんなに
ぶっとんだこと
私が言ってても
父がどんなに
大いなる魂をもっていても
わたしは
この地球に
父の子供として生まれた
厳しかったことも
幸せだったことも
その愛も
私は倫子として
忘れないから
ありがとう
おとうさん
倫子
おまけ
本日のmoony
この数日moonyとの時間は
とっても
穏やかなの💗
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