損得

バターオイルのGHEEを
よつ葉のバターでつくった

バターを加熱し溶かし
不純物を取り除いてつくる



アクがでて不純物は底にたまってゆく
これは
バターを溶かした時の色

透明度が違う


それが
こうなる•*¨*•.¸¸☆*・゚
冬に向かっているので
数時間経つと
固まっていた



家でつくったら
安あがりかな?と思い
作ってみた

グラフィットバターの香りには
かなわなかったけど
トーストにつけたり
料理に使うのは
全く問題ない

バターとの純度の違いが
喉をとおる時にわかる
カラダにとけてゆく感じ•*¨*•.¸¸☆*・゚






当然 家でつくると
人件費や容器代が節約されるから
安くつく


では
買った市販のGHEEは
高かったのか?




これは
ニュージーランドの
グラフェットバターから作られいるから
決して損な買い物ではなかった


生活の中は
損得を考えるシーンは
たくさんある

それは
お金の金額として
あらわれたりする

それに見合うだけの価値があるかは
当然 お金を支払う時の判断で
求められるラインであり

その金額以上の内容だったり
満足度があると

「お得だった」ということになる


このGHEEのように
市販のものの味には
おいつかなくても
安価に作れ
そこそこ満足であれば
お得だと感じる




もともと値段の決まっていない 
絵の値段をつける時も
なかなか悩ましい

号数(サイズ)で
定額にされる方もいる

∞ MinamotoArt ∞ は
サイズよりも
エネルギーや
絵から発信される情報量で
値段をつけている

私の絵のエネルギーに興味がなかったり
私自信に興味がなかったり
そもそも
絵の雰囲気が好みでなければ
その金額を払わない

その金額の価値がないと
判断するかもしれない






損な買い物は
だれもしたくないであろう

全く同じ商品が
A店では10000円
B店では13000円なら
誰もがA店で買いたいだろう

しかし
A店の対応とか最悪なら
金額が高くても
B店で買うかもしれない


そこは

その人の価値観だと思う

安くてもA店に価値を感じない場合だ



価値って
いくらでも変化する

価値の背景にあるものでも
変化する


例えば
ある講座があり
メソッドのようなものがあり
たくさんの講師が存在する場合

それぞれの講師の
教え方や伝え方次第で
その講座にいって
満足か
不満足か
個々に判断が
変わってくるかもしれない

なぜなら
その講師の方の
生き方や考え方とかが
ちょっとした話の中に
反映されるから

それが共鳴すると
満足感を感じたりする


結局
人次第ではないかな?と
思うことが多い






そもそも
何が書きたかったのかというと


損得にとらわれるな

という内側からのメッセージだった


そして

金額に
とらわれないということ


数字なんて
その背景でいくらでも
変わるからだ


そして


安いから得なのではない

高いから損なのではない



最終的に

価値を決めるのは自分




その価値を判断するのは
受け取る人なのだ






ミシュランがらみで
一人の人が命を絶ったそうだ

人の心理を利用した
詐欺的な話が
そもそも
おかしいのだけど

キャスターさんが
そこをどうこう言うのではなく
少し興奮気味に言っていた

ミシュランが絶対ではく
あくまでも
ひとつの指針でしかないと


忘れてはならない


いくら
様々な
物事の基準があったとしても


人の存在が
ベースにあることを


私達は
画一的ではない

私達は
様々な価値観や嗜好をもち
生きていて
同じ人は一人もいないことを.。o○



損得を除いて
物事を考えたとき

そこにあるのは
何だろうか?



そこに答えがあるのかも
しれない•*¨*•.¸¸☆*・゚



❅❅❅❅



家事を済まし
絵を書こうと思ったら
「損得」という言葉が
内側からやってきて

なぜか
絵をかかず
寝ずに
緊急で
これを書いている.。o○

うむ。。。






倫子